何度目の脱毛でも、気になるのは周りの視線。
近くの人は、通りすがりの人たちは、私のことをどう見ているのか??
「気にしない方が身体にいいよ」と言われますが、当人にはなかなか出来ません。
私の場合、最初のときは3人ほどの(旅行に行くほど)仲の良い友人と、
家族にだけ脱毛のことを話しました。
自分自身ショックを受けているし、「こんなこと言われても困るだけだろうな」
という思いもありました。
実際は・・・
友人は大騒ぎせず、原因って何だろう、体調は大丈夫?と
私と同じ目線で静かに見守ってくれました。
家族も経過を見守り、こんなに無くなるんだねー、とか
あ、ここは生えてきてるよーなど、
他人が言いにくいことを自然に伝えてくれました。
2度目は、というと基本的には同じ。
ただ、自分と同じように、周りも良い意味で少し慣れてるんですね。
「この前は、このくらいで生えてきたよね」とか
「前回より体調良さそうだけど、薬飲んでないからかな?」とか
時には自分も忘れかけていた回復までの流れを思い出してくれたりしました。
2回目も基本的には、脱毛に少し慣れたからといって多くの人に話したりはしていません。
でも、最初から+5人くらいにはカミングアウトした気がします。笑
なぜかというと、やっぱり気持ちに少し余裕ができたから。
自分が思っているほど他人は私の髪の毛を気にしていない。
(確かに私も、外で他人の地肌とか生え際をじっと見たりしないなーとか。)
カミングアウトした友人と会っていても、いつも髪の毛を気にしているふうでもなく
たまに最近どう?と聞いてくれる感じだったので、
通常は心のどこかに覚えてはいるけど、すごく気になっている訳じゃないんだな、と。
仲の良い人がそうだったら、通りがかりの人は何か感じる機会さえないかもな、と。
多分、話す人をある程度選ぶことは必要だと思います。
必要以上に大騒ぎしてしまう人や、本人以上に悲しんでしまう人、
周りに言いふらかしてしまう人は、出来れば避けたいところです。
難しい話題だし、本人の気持ちの状態で話し方を変える必要もあると思います。
でも、大切なのは相手を想うこと。月並みですが、私はそう思います。
自分のことを想っての言葉であれば、ある程度は受け入れられます。
だから、なんでも「わかる、わかる」と言うのではなく、
分からないことは「どうしてかな?」と聞いたり一緒に悩んだりしてもらった方が
違和感なく自分のことを話すきっかけになる気がします。
次回は⑫3度目の脱毛の始まり。
今現在が4度目の脱毛なので、いよいよ後半戦です!