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⑰髪が生え揃っての生活~私生活編 Part.2(ラスト)~

さて、早速私生活編Part.2です。

熊本へ異動した結果、数年ぶりに彼氏をゲットした私(笑)、
春~秋へ、穏やかに時は過ぎていきました。
そして、もうすぐ復活して1年だー!と思っていた矢先の1月。
明らかに増えた抜け毛。

私の場合は、脱毛が始まるとき、こんな症状が顕著に出ます。
・頭のかゆみ
・髪の毛のパサつき(濡らしてもすぐ乾くくらい。)
・指でつまむと、すーっと簡単に抜ける。(毛根が無い感じ。)

1月にこれら全ての症状がはっきり表れ、2月には抜けるスピードが速まり、
全頭脱毛の繰り返しを認めざるを得ない状況になりました。
このとき、(もちろん気付いていたと思いますが)、彼にも面と向かって話しました。

「また、髪の毛が無くなる、、、。」
できるだけ深刻にならずに話し始めたつもりですが、
気付けば涙が溢れてきました。

その後どう話したか、細かくは覚えていません。
でも職場ではもちろん、普段の生活でも泣かない私が号泣するのを見て
内心ではきっと驚いたと思います。

”なんで治らないの?”
”なんで私ばっかりこんな目に合うの?”
しゃくりあげながら泣く私のそばで、ただ黙って話を聞いてくれていました。

実は、次に脱毛を繰り返したら仕事を辞めると(上司との面談の前に)彼に話していました。
でも、実際に目の前に厳しい現実が突き付けられると、決断できない。
せっかく治ったと思ったのに、悲しくて辛くて悔しくて。
しかも、仕事を辞めた後どうやって生活すれば良いか不安で仕方ない。
もともと実家も裕福でなく、何でも自分で解決するものだ!と
思っていた私は、人に頼るのが特に苦手でした。

するとしばらく静かに聞いていた彼が、こう聞いてきました。
「もし、自分の友達が同じ状況だったら、なんて言う?」

…「頑張ったよ。辞めなよ。」って言うと思う。
自然と口からそんな言葉が出てきました。
このとき位から、私の中の気持ちが微妙に変化していったと思います。
頭の中で、”ああ、そういう事なのか”と整理ができていく感覚。
辞めてもいいのかもしれない、という安堵にも似た何とも言えない感情。

すると、
「大丈夫。生活のことなんか心配しなくていい。」と。
(プロポーズされた訳ではありません。結婚はさらに数年後です。笑)
人から「大丈夫」と言ってもらえることが、こんなに心強いことなんだと
初めて感じた気がします。
そして私はこの日、仕事を辞めることを決意し、数日後に上司にそれを伝えました。

ここで「髪が生え揃っての生活」の仕事編と私生活編は終了です。
こうやって書くと、仕事と私生活の両方で辛い思いをしたような風にも見えますが、
逆に言うと、片方だけ(仕事だけ、プライベートだけ)だったら、
視野が狭まって余計に辛かったかもしれません。私の場合は。

次回は仕事を辞めてからのお話。
3度目の脱毛後を書いていきます!

⑮髪が生え揃っての生活~仕事編 Part.3(ラスト!)~

いよいよ仕事編のラストです。

2月の面談で退職が決まった私。
もともと異動の多い会社で、色々話していた上司も約1年の熊本赴任を経て
次の赴任地へ旅立ち、新しいマネージャーが着任しました。
私はというと、3月末でリーダー職を降り、メンバーのサポート業務に回りました。

私たちの仕事は、3ヶ月を1クォーターとして業績が一区切りするものでした。
なので当初は、5月下旬まで業務の引継ぎやサポートを行い、残りの有給を消化して
6月末付けで退職の予定でした。

でも、これまで一緒に熊本で戦ってきた仲間。
クォーター終わりの6月を待たずに5月で抜ける中途半端さ。
(大体退職というのはそういうものなのですが・・・(^^;))
少しもやもやしている私の心情を察してくれた新しいマネージャーが

「6月まで手伝ってくれないか?」

提案してくれました。会社としてはちょっとイレギュラーだけど、
6月末まで勤務して有給消化に入り、8月頭で契約満了という流れにしてくれるとのこと。
断る理由がありません。
正直、目の前がすっきりしました。

それからは、いつもの怒涛の日々。
今まで「北原チーム」(リーダーの名前毎のチーム制でした。)だったメンバーの
アシスタントとして、業務を精一杯こなしました。
そしてクォーター終わりが近づいた6月途中。
担当しているメンバーの一人がとても良い業績を維持していました。
営業トップの表彰がもらえる位置です。
1位を争っているのは珍しく、これまた熊本のもう一つのチームのメンバー。

2人の争いは最終週の結果次第というところまでもつれ、
なんと最終週の最終日、締切金曜の15時ぎりぎりまで分からないところに。
結果は、、、元北原チームのメンバーが最後に1件の受注を決めて勝利!!
熊本グループ内で歓声があがるほどのデッドヒートだったのですが、
結局は同じグループの仲間同士。毎週のように飲みに行く戦友です。
締切が終わった後には、「いやー、すごい戦いだった!」と両チームが盛り上がっていました。

実はこの話、私はただの偶然と思っていたのですが、始めから(1位を)狙っていたとのこと。
あとあと皆で話しているときに教えてもらいました。
全国の営業たちによって毎クォーター争われる営業成績。
1位は翌月の表彰式で檀上にあがれます。
「どっちかが勝って、わかさんを檀上に上げる」
そう話していたというのです。(私は下の名前でこう呼ばれていました。笑)

実は2位になったメンバーも、もともとは私のチームの営業でした。
例によって泣かない私は、残念ながら涙の一滴も出なかったのですが(笑)、
めちゃくちゃ嬉しかったです。
私は少しでも役に立ちたいと、目の前のことを必死でやっていただけなのに、
その裏でこんなことを考えながら1クォーター走り続けてくれたのか~、と。

翌月7月の表彰式には、既に有給消化に入っていた私も出席。
人前に立つのが苦手な私ですが、メンバーのコメントの後壇上に呼ばれ、
熊本グループ全員が一輪ずつお花を渡しに来てくれました。

お花

1日のほとんどを仕事に費やしているし、
仕事終わりや休日も職場の仲間と飲みに行ったりしているし、
外から見たら、もしかしたら「それって、楽しいの?」と思われる生活だったかもしれません。
でも、楽しかったんです。笑
仕事に打ち込めるって、意外とイイ。
いや、仕事というより、何かに一生懸命になって、気付いたら時が過ぎていて、
少しあとにふと立ち止まって振り返ったときの心地よさ。達成感というのでしょうか。
自分と周囲の成長を感じられた、貴重な機会を頂いたと思っています。
一言でいうと、充実していました。

これで私の仕事編は終了です。
3回にわたる仕事編、お付き合いありがとうございました(^^)
次回は3度目の脱毛後のプライベート編を予定しております。
引き続きよろしくお願いします!






⑭髪が生え揃っての生活~仕事編 Part.2~

本日は、仕事編Part.2です。
早速スタートします!

4月に上司と面談して、次に髪が抜けたら辞める!と決めての新年度スタート。
やりがいある仕事、一緒に前進できる仲間、多忙ながらも好調な業績。
最後になるかもしれない、とたまに思うことはありました。
でもだからこそ、今まで以上に役に立てるように、自分なりに頑張りました。

春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ・・・るはずでした。
もう少しで1年が経つ、という翌2月。
一気に抜け始めた髪の毛。
残っている髪のパサつきを見れば、その後どうなるかは明らかな状況。
繰り返しです、また。3度目の全頭脱毛が始まってしまいました。

1月終わりから薄々気付いてはいたけど、途中で止まってくれと祈り目をつぶっていました。
でも、もはや認めざるを得ない状況。
そして2月に上司と面談。

「私、辞めます・・・。」

上司は気付いていました。
でも、私が話すまで待っていてくれました。
そして、「止める理由がない。俺もお前の判断(退職)が正しいと思う」と言ってくれました。
私は泣かないタイプなのですが、この時はさすがに泣きそうになりました。
(でも結局、泣きませんでしたが。苦笑)

自分に対して悔しくて。
そして、鬼のように厳しい上司が、私の身体を真剣に考えてくれている表情が苦しくて。
言葉の少ない面談でしたが、大きな決断を下しました。
退職決定です。3月末まで働いて、有給休暇を消化して5月上旬で終わり。

入社して8年目に入るタイミングでした。

ここから退職日までの数ヶ月を、次回仕事編のラストとして書き出します。
1回の記事にまとめようと思ったのに、思い出すと色々出て来て3回分になってしまいました(^^;)
このブログを読んでくださっている方々、最後までお付き合い頂き、ありがとうございますm(__)m
あと少しですので、よろしくお願い致します。






⑬髪が生え揃っての生活~仕事編 Part.1~

今回は、3度目の脱毛が始まるまでの短い時期の生活について。
私のブログには、多忙な仕事を抱える女性の方も見に来て下さっているようなので、
今回は仕事編です。

1月に2度目の脱毛から復活し、美容室に行ってショートカットに整えてもらって。
またまた日常に戻りました。
勤務地は熊本。仕事は外回りの営業。
週の締切で動く求人誌やネット媒体の担当です。
企業の取材や原稿の校正も行います。
そしてこのときは、他の営業をまとめるリーダー職を任せてもらっていました。

1月に地毛に戻って少し経った4月。
福岡でお世話になっていたマネージャーが熊本に赴任し、
またしても私の直属の上司に。(40代男性)
とても厳しい人ですが、同時に心の底から成長させてもらったと本心で言える方です。
その上司と定例の面談、仕事の計画や目標をたてた時のことでした。

「もし、また髪の毛が無くなったら、仕事辞めます。」

私から切り出し、了承してもらいました。
ここで誤解してほしくないのは、私は仕事が好きで、
当時ものすごくやりがいを感じていたということです。
転職でその業界に入って約7年。この会社ではベテランの域でした。
仕事のペースは掴んでいたし、目標数字も締切も、
私にとっては大きなストレスではありませんでした。
辞めたくない。もっと力をつけて、役に立ちたい。

では、なぜ辞めるのか。

脱毛になった27歳の当時から変わっていないのは、
仕事が日常の大半を占めるという事実だけだったからです。
簡単に言えば「仕事しかしていない」と感じていたから。

実際に細かく言えば、
もちろん休日に遊びに行ったりはしています。
でも、平日は朝8時過ぎから夜10時近くまで仕事。
(↑これでも、だいぶ短くなった方でした。)
平日は疲れて社外の友人と連絡を取る余裕がないので、週末会うのも職場の仲間。
(これはこれで、すごく楽しい人たちなのですが…。笑)

もし脱毛に原因があるとしたら、考えたくはないけど、仕事かもしれない。

そう思ったのです。
大袈裟ですが、何かを得るためには何かを捨てなければならない。
今がそのタイミングなのかもしれない、と。

結果は、、、
最初の一文でお分かりの通り、3度目の脱毛にいきついてしまいました。
最悪の結果です。

でも、最悪で終わらないのでブログに載せています。ご安心ください。笑
次回は、この会社でのラストスパート、仕事編Part.2です。

☆尚、「仕事」を家庭や子ども、趣味などに置き換えても通じるものがあるかもしれない、と
勝手に思って記事を書かせてもらっています。

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